当ブログを読まれた方に大好評の、K氏のクルマよもやま話第三話は
『乳母車』です。。。
一見クルマとはあまり関係なさそうですが、読み進むとそこに深い関係が・・・
そのむかし京都に住んでいたころ「ラ・ヴァチュール」というビストロの名店があり、店の前に古い乳母車が置いてあった。フランス語でヴァチュールは自動車のことですが、乳母車も指すのです。
娘が三人居て上二人は三十代、それと異母妹の下は今十四歳です。三十数年前、いちばん上の娘が生まれると分かったときにパリのデパートで買ったものが乳母車でした。二万五千円くらいで、ほかに税金と船で送るのに三万円くらいかかってしまった。計五万五千円は今の価値で十万円くらいでしょう。
上二人のときは京都に住んでいて狭い京都の町ではあまり使えなかったが、下の娘は広島で日々便利に使いました。彼女は乳母車の上で育ったようなものです。広島県立美術館の近くに住んでいたのですが、広島は歩道も広く、車椅子でどこにでも行ける時代になっていて乳母車も美術館でもデパートでも公園もどこだって行けた。乳母車の上の娘はそのころ広島市街でアイドルでした。京都では使えなかった二十数年ぶりの乳母車がそれほど便利でよくできているとは思いませんでした。
このフランス製の乳母車は三つのパートでできています。赤ん坊の入る布製の箱とそれを載せる金属のフレーム、そして四つの車輪。
簡単に折りたためる布の箱はフランス語でクーファンと言い、英語ならコフィンで棺おけの意味です。フレームもすぐにたたんでぺしゃんこにできる。車輪もワンタッチではめたり外したりできる。
箱をフレームの上に載せると書いたけれど、じつは細部を見れば載せているのではなく吊っていることが分かる。車の足回りをサスペンションと言うでしょう。英語で吊る意味。ズボン吊りはサスペンダーです。見る人の不安をあおるドラマはサスペンスで、気持ちを宙吊りにするからです。
車が馬車だった時代に人の乗る箱の部分はバネに乗っているのではなく吊っていたので、バネと書いたけれどバネなんかなくてフレーム全体のしなりでやわらかく吊る構造でした。そのことがヨーロッパの自動車のサスの原点になっています。
各部をバネで支えているのではなく、箱全体を吊っているから石畳だろうがでこぼこだろうが段差でもどんな道路の状況でもしなやかに行過ぎる。猫足と言うが、ヨーロッパ人は自動車にもその感覚を忘れなかったんです。
なにしろ赤ん坊のときから刷り込まれていた感覚ですから。
ワンタッチで取り付ける車輪に油さしをしたことは一度もなく、二十数年ぶりに使ったときも音もなくじつにスムーズに回りました。どういう仕組みなのか謎ですが、ベアリングが絶妙なのかもしれない。
車輪は前二つより後輪のほうが大きくなっています。段差や階段を越えるときのためで、階段の乳母車と言えばエイゼンシュタインのソ連映画「戦艦ポチョムキン」のオデッサの階段の虐殺シーンが有名。母親が撃たれて赤ん坊を乗せたままの乳母車が長い石段を勝手に駆け下りて行くシーン。特撮かもしれませんが、乳母車で階段を上り下りすることにはヨーロッパ人は違和感を持たないのです。
車好きのマツモトカンジさんは初孫が生まれたとき、わたしに乳母車を貸してほしいと言った。つぎつぎに孫ができて乳母車はわたしのところに戻ってこなかったのですが、数年ぶりに不要になったからと持ってこられました。見てほんとうによくできているとあらためて思いました。布と金属と革だけでプラスティックを使っていないけれど、デザインを含めて古さを感じないし今もどんなベビーカーよりも実用的でエレガントです。
それなのにヨーロッパでも今はこのタイプのものは売られていないと思う。ヨーロッパ人は物持ちがいいので今もこの古いタイプの乳母車を使う人は居るのですが、新しいのは日本でもふつうに見るタイプ。車輪が小さくプラスティック多用で、サスは金属のフレームで吊る仕組みではない。
たしかに全体としてかさばるのは事実で、人ごみをかきわけながら進んだり混んだ電車の中では不便かもしれない。ヨーロッパの自動車が小さなコンパクトカーばかりになっているのと同様で、乳母車も言葉で言えば「大衆化」なのかもしれません。
「吊って走る」サスの感覚はそれを押して歩いたわたしの脳髄にも染み付いています。
*K氏から送って頂いた写真です
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