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【くるま家KOZO】の日々の活動を綴ってます。

K氏のクルマよもやま話 第五話

久しぶりのK氏のクルマよもやま話、第五話はごく一部地域では評判が良かったクルマ『プジョー309GTi』です。。。

あまりの懐かしさに涙する人が居たり居なかったり(笑)

ワタシは好きなクルマの一台です。。。プジョー205が大人気だった一方、陰に隠れた存在ですが本文にも有る通り205より実は過激な、でも足は大人な通好みのクルマです!

 今日はプジョー309のことを書きます。
 車のエンスーでもオタクでもないので、309のようなすこしレアな車を持ったのも縁ということでした。人の出会いと同じです。
 生まれてこのかた乗った車でいちばんインパクトの強い車は309GTIだと言うと驚く人もありました。
 4ドアノッチバックのジェミニイルムシャーを乗り潰して次の車を探していたとき、知人の車屋を紹介してくれた人がいて見に行くと、スタイルはひどく無骨で地味だけれどスペックその他イルムシャーに似た309GTIがあり、何も知らないまま買ってしまったのです。87年式の初期タイプでした。
 欧州車は同じ車でも年式で別物というケースも多く、とくに初期型は理想を追って過激な車になっているということも多い。309も乗るにつれて、そうとうおかしな車だと思うようになりました。
 無骨な見かけによらず着座が低い。マニュアルミッションで低速がまったくない。脚の筋肉がしびれるほど重いクラッチをうまくつながないと即エンストです。渋滞などノロノロ走行はほとんど無理。その代わり回りだすとNAのエンジンは体のねじれるエクスタシーで吹き上がります。見かけは農業車に見えそうなのに中身はスポーツカーのエッセンスのように思われました。
 初期の電子制御にありがちで、ひとりよがりな技術者の過激な設定になっていたと思う。
 それと足回りが凄かった。ねっとりと路面に張り付いており、地球がひっくり返っても落ちない車ではと思った。コーナーはよく曲がりました。
 トラブルは少なくなかった。そのころのフランス車にはよくあることで、エンジンがプッツンと始動しなくなることもときどきあった。なぜか押しがけだとかかるので、ひとりで押してかけて問題はなかったのですけれど。AT全盛の今では押しがけの意味も知らない人が居るでしょうね。
 重く頑丈そうなクラッチがスポーンと抜けて動けなくなったことも乗っていた五六年の間に三度ありました。ノン(妻)とまだ赤ん坊だった娘と安浦の海に遊びに行って帰り、呉の川原石でとつぜんクラッチが抜け、車屋に電話してそのままJRの電車で川原石駅から赤ん坊を抱いて帰ったものです(車は放置して)。そういったトラブルはそれが当たり前だと思うとなんとも思わない時代でした。
 なにが理由だったか忘れましたが、309がとつぜんご臨終になり、急いで次の車を探したとき、姉妹車だからと安易に205GTIを買ったら年式の違いなのか極端に違う車で失敗でした。エンジンがまったくまわらない。腰高で足回りがぴょんぴょんして不快。205はわたしの持った車の中ではよい思い出がありません。

 すこしシトロエンのエグザンティアのことを書きます。
 205のぴょんぴょんする足が嫌だったものでフラットに走る車に乗りたくなりました。ノンは4ドアじゃないといやと言うしセダンを探すことにした。車屋にその話をするとエグザンティアに試乗してくださいと言われた。八年前くらい前の話で当時でも相当古い前期エグザンティアです。
運転して魅了されました。知人がエグザンティアを所有し助手席には乗ったことはあったのですが、運転して分かる夢のような乗り心地。宇宙空間を切り裂き一直線に進行する気分。またはフランスの新幹線で運ばれているみたいで、自分で運転している感覚がない。勝手に滑るように走ってくれるんです。
 AT車に偏見を持っていてそれまでオートマ車に乗らなかったのですが、賢いオートマにも驚いた。軽くアクセルにタッチするだけで自由自在の電動モーターみたい。逆に言うなら自動車としてのおもしろさにはすこし欠けているのかもしれませんが、そのころ人生疲れ気味だったわたしは完全にはまりました。
 試乗した車は買わずほぼ同じ94年式で同じ車のずっと安いのをほかで見つけて買いました。そのときコーゾーさんとの出会いがありました。
 乗れば乗るほどよい車で、シンプルなダッシュ回りも理想でしたし、シートもシトロエンらしく世界一。ブレーキに独特のタッチがあり、止まるのか止まらないのか分からない感覚で列車のようにいつの間にかスーッと自動停止してくれている味わいもよかった。人によっては気持ち悪いという人もあるかもしれませんが。
 軽くアクセルペダルに触れるだけで走りだしますが、ヨイショと動き出して、中速からの胸をすく伸びが気持ちよかった。フッとワープ(空間移動)するような回転域がある。
 いちばん気持ちが良いのは田園盆地の七、八十キロ走行ですが、市街地を飛ばしても不思議な安心感がある。ほかの車を超絶する独自の世界でした。
 94年式でこれほど完成された車があるなら、その後の車はいったい何をしているんだと思いましたね。
 七万キロで買い、十三万キロまで乗って冷却系の不調で同じ年式のエグザンティアを探して乗り換えました。それも六万キロから十二万キロまで乗って、ミッションの不調で降りました。そしてまたエグザンティアを探しましたが、だんだんと大古車になってきて、予算に合う良い車がない。とくにわたしはサンルーフ付きでないといやなので玉が少ないのです。妥協して前期型のC5にしました。
内外装のデザインはエグザンティアのほうが優れていますが、前期C5のバブルなデザインは妻子のためには悪くなく、車の中身も前期型なら同じハイドロとエンジンでエグザンティアとそう変らないのではと思いました。しかしぜんぜん違っていた。
 すこしフワフワした足でエグザンティアほどのフラット感がない。ブレーキはストレートに利きすぎてちょっとヒンがない。エンジンの回転も低速から中速まで普通に直線でパワーを感じない。中速域の伸びがいまひとつ。世界一のカーオーディオと思っていたエグザンティアに比べてなぜかひどく音が悪い。ダッシュボードが高くシートも高くエグザンティアより腰高。エグザンティアよりコーナリングがへた。要するにスポーツ性に欠ける。
 全長全幅はエグザンティアとそう変らないのに、ぼってりとしたボディで車の大きさを把握しにくい。
 と、欠点ばかり書いていますが、マニアに流れない分、高級感はあってハイドロのよさもまったく失ったわけではない。重い車体に二リッターでよく走り燃費もそう悪くない。自分で運転している感覚がなく運ばれているようなのもエグザンティアと同じで楽チン。
 でも久しぶりにパリに行ったら街には十年前に製造の終わったエグザンティアはうじゃうじゃ居てC5を見かけないのが不思議でした。


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K氏のクルマよもやま話第四話

K氏のくるまよもやま話第四話は『フランス式』です。本文にちょびっとドイツ人のルポのインプレも混じってます(笑)

そういうわけでフランスの高速道路も一般道路も見かけは簡素ですが、完璧な舗装がしてあります。どんな田舎に行っても。
 日本の道路がガードレールや防音壁など装置は過剰なのに肝心の舗装そのものが粗末なのとはじつに対照的です。
 シトロエンのハイドロは宇宙船のような乗り心地を約束しますが、エグザンティアはでこぼこの道にはすこし弱かった。フランスにそんな道路はないからです。グローバルな時代に後継のC5はどんな道路にも対応していますが、そのかわりハイドロ独特のフラット感はすこし失われている。
 フランスは曲がりくねる道路も少ない。国土がだいたい平坦で、書いたように道路をなるべくまっすぐにという発想もあるから。でも、シトロエンのハイドロもちゃんと曲がって走ってくれるし、列車で行くようなスムーズな感覚はカーブでもそのままです。その代わりフットワークのダイレクト感はありません。
 ノンちゃん(妻)用の車はワーゲンのルポですが、ワーゲン姉妹の末っ子で小さな車なのに太くて立派なタイヤをおごらされ、過剰な装備ではないかと思いながら、山道を飛ばしコーナリングで踏ん張るストレートな感覚を味わうと、車はこうでなくてはと思う。合理的ではないかもしれないが車の古典のおもしろさはあります。

 ついでにといってはルポにかわいそうだけど、ルポを買った経緯を書いてみます。
 市街地のマンション住まいから郊外の戸建てに越したとき、ノン(妻)用の車を考えました。ドイツ車はしっくりこなくて持ったことがなかったのですが、あるとき石内バイパスを走っていたらゴルフのカブリオが四十万で出ていた。わたしは天井に穴のある車でなければだめな人で基本サンルーフ付きです。だからオープンに憧れもあるけれど実用的ではないと思っていたのですが、ゴルフなら四人乗りで、セコンドカーなら問題ない。それがいつしか三十万の値札になったとき買いかもしれないと思い試乗しました。2003年式くらいだったと思う。
 勝手に乗ってきてくださいと言われ、美鈴が丘まで往復、オープンにして上り坂をフルスロットルで走ると予想外な歓喜でした。外観はカローラのようなのに内部は工場の制御パネルのようなすこし前のワーゲンのドイツ的雰囲気を残していて、轟音とともに突っ走る感覚は戦車でした。グワーッと迫力があり、「ドイツ車だあ」と思わず叫びそうになった。
 間をおいたらそれは売れてしまった。でもワーゲンのおもしろさを知り、ルポを探すことにしました。ポロほどの大きさも要らずポロはデザインが好みではなく、ルポのほうがノンに似合うと思ったから。
そう思っていたら広島内陸の田園の車屋さんに四十万のルポ・コンフォートがあると知って乗りに行きました。田舎を試乗し感じたのはとくに個性はないが悪くはないと言うものでした。しかし三万数千キロしか走っていなくて新車のようにきれい。三十万でいいと言われて買いました。
 自分の車として乗ってみると噛めば噛むほど味の出る、なかなか深い車でした。あなどれないと思った。
 小さな車に1,4リッターなのにパワーを感じません。そのくせディーゼルのような音がする。燃費も意外に悪い。エンジン音とロードノイズで走る重厚さはやはり戦車です。車格を超えた走りの安定感はすごい。とくに高速道路はまっしぐらにどこまでも飛ばして行ける。
 シトロエンのエグザンティアやC5は運転しなくても(実際には運転するのですが)勝手に走ってくれると言う感覚で地の果てまで行ってしまいそうですが、ルポは自ら運転して地の果てまで行けそう。日本のコンパクトカーや軽自動車のクッタリとした感覚では味わえない。
 かっしりとしたシートに座る気分はすこし前のドイツそのままです。メーター周りも奇をてらったものがなくて工場みたい。悪くありません。
 ふだんC5に乗りながら、口直し(?)にときおりルポを動かしてガ――ッと走らせると元気が出てよいのです。長年ペーパードライバーだったノンも車の運転がこれほどおもしろいとは思わなかったと言って飛ばしています。

 今、自動車生産大国は日米とヨーロッパはドイツ、フランス、イタリアくらいでしょうか。これほどグローバル化されそれぞれの国の特徴が薄れてきた時代にもかかわらず生産国の国柄を反映しているように見える。
 ドイツ車は無骨で力強い。
フランス車はモダンでしゃれている。
イタリア車はすこし野暮ったく暗い。
日本車は――盛りだくさんでぺらぺらしている。
 これは列車でもそうで、フランスの高速鉄道はしゃれていて静かでスムーズ、イタリアのはすこし古風で、ドイツのは力任せに速い感じ。日本の新幹線は正確でトラブルのないのが取り柄でスペック重視のように思えます。車内の雰囲気は事務的。JR九州の電車のようにやりすぎなのも野暮ったいですけれど。


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K氏のクルマよもやま話第三話

当ブログを読まれた方に大好評の、K氏のクルマよもやま話第三話は『乳母車』です。。。
一見クルマとはあまり関係なさそうですが、読み進むとそこに深い関係が・・・


そのむかし京都に住んでいたころ「ラ・ヴァチュール」というビストロの名店があり、店の前に古い乳母車が置いてあった。フランス語でヴァチュールは自動車のことですが、乳母車も指すのです。
 娘が三人居て上二人は三十代、それと異母妹の下は今十四歳です。三十数年前、いちばん上の娘が生まれると分かったときにパリのデパートで買ったものが乳母車でした。二万五千円くらいで、ほかに税金と船で送るのに三万円くらいかかってしまった。計五万五千円は今の価値で十万円くらいでしょう。
 上二人のときは京都に住んでいて狭い京都の町ではあまり使えなかったが、下の娘は広島で日々便利に使いました。彼女は乳母車の上で育ったようなものです。広島県立美術館の近くに住んでいたのですが、広島は歩道も広く、車椅子でどこにでも行ける時代になっていて乳母車も美術館でもデパートでも公園もどこだって行けた。乳母車の上の娘はそのころ広島市街でアイドルでした。京都では使えなかった二十数年ぶりの乳母車がそれほど便利でよくできているとは思いませんでした。
 このフランス製の乳母車は三つのパートでできています。赤ん坊の入る布製の箱とそれを載せる金属のフレーム、そして四つの車輪。
簡単に折りたためる布の箱はフランス語でクーファンと言い、英語ならコフィンで棺おけの意味です。フレームもすぐにたたんでぺしゃんこにできる。車輪もワンタッチではめたり外したりできる。
 箱をフレームの上に載せると書いたけれど、じつは細部を見れば載せているのではなく吊っていることが分かる。車の足回りをサスペンションと言うでしょう。英語で吊る意味。ズボン吊りはサスペンダーです。見る人の不安をあおるドラマはサスペンスで、気持ちを宙吊りにするからです。
車が馬車だった時代に人の乗る箱の部分はバネに乗っているのではなく吊っていたので、バネと書いたけれどバネなんかなくてフレーム全体のしなりでやわらかく吊る構造でした。そのことがヨーロッパの自動車のサスの原点になっています。
 各部をバネで支えているのではなく、箱全体を吊っているから石畳だろうがでこぼこだろうが段差でもどんな道路の状況でもしなやかに行過ぎる。猫足と言うが、ヨーロッパ人は自動車にもその感覚を忘れなかったんです。
 なにしろ赤ん坊のときから刷り込まれていた感覚ですから。
 ワンタッチで取り付ける車輪に油さしをしたことは一度もなく、二十数年ぶりに使ったときも音もなくじつにスムーズに回りました。どういう仕組みなのか謎ですが、ベアリングが絶妙なのかもしれない。
 車輪は前二つより後輪のほうが大きくなっています。段差や階段を越えるときのためで、階段の乳母車と言えばエイゼンシュタインのソ連映画「戦艦ポチョムキン」のオデッサの階段の虐殺シーンが有名。母親が撃たれて赤ん坊を乗せたままの乳母車が長い石段を勝手に駆け下りて行くシーン。特撮かもしれませんが、乳母車で階段を上り下りすることにはヨーロッパ人は違和感を持たないのです。
 車好きのマツモトカンジさんは初孫が生まれたとき、わたしに乳母車を貸してほしいと言った。つぎつぎに孫ができて乳母車はわたしのところに戻ってこなかったのですが、数年ぶりに不要になったからと持ってこられました。見てほんとうによくできているとあらためて思いました。布と金属と革だけでプラスティックを使っていないけれど、デザインを含めて古さを感じないし今もどんなベビーカーよりも実用的でエレガントです。
 それなのにヨーロッパでも今はこのタイプのものは売られていないと思う。ヨーロッパ人は物持ちがいいので今もこの古いタイプの乳母車を使う人は居るのですが、新しいのは日本でもふつうに見るタイプ。車輪が小さくプラスティック多用で、サスは金属のフレームで吊る仕組みではない。
 たしかに全体としてかさばるのは事実で、人ごみをかきわけながら進んだり混んだ電車の中では不便かもしれない。ヨーロッパの自動車が小さなコンパクトカーばかりになっているのと同様で、乳母車も言葉で言えば「大衆化」なのかもしれません。
 「吊って走る」サスの感覚はそれを押して歩いたわたしの脳髄にも染み付いています。
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*K氏から送って頂いた写真です

K氏のクルマよもやま話 第二話

前回掲載させて頂いたエッセイはいかがでしたか?
訪れた事のないヨーロッパですが、イタリアとフランスだとイメージではイタリアの方が飛ばすイメージが有ったのですがK氏曰く、フランスの方がぶっ飛ばしてる人が多いそうです。

そう言われると、スーパーカー以外のフツーのクルマは高速で乗るとフレンチのクルマの方が高いスピードレンジを維持して長く走るのが苦ではなく、どこまでも疲れずに行ける気がするな・・・とむしろドイツ車よりも乗ってて気持ち良いかも!と思ってしまいます。。。

そんなワタシのオススメはコチラ!
近々にエグザンティアブレークの入荷もある予定ですのでご期待ください!

・・・とCMは程々に、K氏のクルマよもやま話第二話『今日はアルファロメオのことを書いてみましょう』です。
 

今日はアルファロメオのことを書いてみましょう。
 若いころはずいぶん映画を見ました。とくにフランスのジャンリュック・ゴダールとイタリアのルキノ・ヴィスコンティが好きでした。ゴダールは「気狂いピエロ」と「軽蔑」が二大傑作ですが、二作とも赤いアルファのジュリエッタ・スパイダーが重要な道具です。
ヴィスコンティは広島なら浅野家のようなミラノの殿様で、というよりミラノですから徳川くらいの家柄の人。アルファのエンブレムはヴィスコンティの家紋なのですが、ヴィスコンティの映画にアルファはほとんど登場しない。「ロッコとその兄弟たち」でロッコが季節労働者としてアレーゼのアルファの工場に勤めるシーンがあるくらいです。昔の話ですから工員はもちろんアルファなんか持てません。市電で通勤するのです。
 ヴィスコンティの映画で印象に残る車は「熊座の淡き星影」で、トスカーナのヴォルテラの城主の娘が(クラウディア・カルディナーレです)運転してヴォルテラの坂道を登ったBMWのなんとかいう何百台かしか生産されなかったアメリカ向け超高級オープンカーです。そのシーンに惹かれて同じ坂を運転して上がったことがある。シトロエンのAXなので雰囲気もなく、あっけなかったのですが。
 
 そのころ漠然とアルファロメオの盾形グリルに憧れていましたが、1983年のある日、通りがかりにぼろぼろにアルファ錆の浮かぶ右ハンドルのジュリアの「段つき三本」のプライス四十万を見て驚いた。そのころどんな状態のジュリアでも百万以下では入手できなかったから。珍しく衝動買いしたくなり、動くのか車屋に聞いたら「実用にはなりません」と断裁なさった。でも実物大のブリキのおもちゃだと思って買いました。
 買ってみたら近所の用には使えるくらいは走りました。買ってしばらく、家人がやけどで数日入院し、その見舞いにジュリアで行く途中ジュリアもやけどした。冷却水のホースが抜け落ちているのを知らずオーバーヒートです。ジュリアも入院しヘッド研磨のついでにタイミングの調整、ブッシュ交換、コニダンパー、その他ほんのすこし手を入れたらたちまちスポーツカーに変じて驚いた。内外装はぼろぼろのままで。
 ボンネットを開ければDOHCカムカバーのそばにウエーバーの二連カーブレーター。シートに座ればヘッドレストもベルトもない小さなバケットが身体をすっぽり包み込んだ。
 そのころアルファに乗るのは愛人を囲うようなものという話もあり、確かに気難しい面もあったのですが、書けば一冊になりそうな良い思い出です。書いた火傷以外にレッカーで運ばれた記憶はありません。作家の五木寛之氏はジュリア(とくにスパイダー)をヴァイオリンに例えられましたが、弦楽器ならもうすこし太いチェロだとわたしは思う。
 
 ここでジュリエッタとジュリアの違いを説明しておきましょう。戦後アルファロメオが新しい車を開発したとき、車の名をジュリエッタにしました。言うまでもなくロメオとジュリエッタになぞらえたのです。ジュリエッタをモデルチェンジしたのがジュリアで、ジュリエッタのお姉さんの意味。「~エッタ」は「~ちゃん」の意味で、女の子が成長するとそれが取れてジュリアになる。女子から女になったというストーリーです。
 ジュリアのシリーズでマニアの人は「弁当箱」のTIを連想するかもしれませんが、ふつうジュリアといえばクーペのGTVです。グランツーリスモヴェローチェ。高速で行く大旅行。わたしの段つきはエンジンが1750に置き換えられていて、基本的に回すエンジンではなくトルク型の走り、足回りもストロークがあってしっとりとエレガントでした。カーブはよく曲がりました。
 ヨーロッパは日本とは根本で違う階級社会ですから高性能車は量産しない(できない)というコンセプトでしたが、それを初めて量産したのがアルファです。ヒットラーのライバルのムッソリーニ総統によって国有化され、ヒットラーがフェルデゥナンド・ポルシェ設計の国民車製造のためにフォルクス・ワーゲンを立ち上げたのとは対照に(競争といってもよい)、アルファは前後見境なく高性能車の開発ができたのでした。エンツォ・フェラーリが、技術主任でした。
 
 アルファ錆の浮かぶわたしのジュリアも、宗教的かつ高貴な雰囲気を持ち合わせていたものです。その点は現在のフィアット傘下のアルファとは根本が違います。
 ヘンリー・フォードがアルファの車の前では頭を垂れると言った話は単純に性能に対するレスペクトではないのです。
 
 わたしのジュリアの別れはあっけないものでした。あまりに見苦しいボディを軽くレストアしようと車屋に出したら、見積もりが安すぎて車屋さん途中でいやになったのか、ボディが裸にされたまま放置されたのです。その間何ヶ月も代車に初期型パンダを借りていましたが、これでいいやと思い、ジュリアと交換しました。「アルファとパンダを交換?」と言って驚く人も居ましたがわたしには自然なことでした。
 初期型のパンダです。ござのようなシートで、リアシートはハンモックでリアサスが板バネでラジオも何にもついていない空っぽの。グロス四十五馬力の。性格はジュリアの真反対。階級社会の最底辺です。だからこそダイアナ妃など高貴な方々は避暑地でひそかにパンダを自ら運転なさったらしいのですが。
 よく回るエンジンとトラックのような足回りで市街地ではカートもしくはフェラーリ状態でした。
 ジュリアが礼拝堂ならパンダはバカンス丸裸のキャンプでした。実際に裸のミニモークと違い、屋根も壁もある小屋のようなパンダは高貴な人にちょうど良かったのかもしれません。
 しっとりとしたジュリアには、また乗ってみたいなあと思うことがあります。

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有り難いお話

久しぶりの更新なので連投行きます!

先日、当店を開業する前からのお客様の一人で、車はもとより、舟や芸術に関しても楽しいお話を沢山お持ちで、ヨーロッパの国々も何度も巡っていらっしゃるダンディなシトロエンC5にお乗りのKさまより、とても素敵なお話を頂きました。

お話の内容は・・・自分がくるまに関するエッセイを書くからそれをホームページに載せる事でみんなに楽しんで貰いましょう!  という申し出を頂きました。。。以前から何度も万年筆でしたためた素敵なお手紙を頂いて内容がとても面白いなぁと思ってましたので、私もとても嬉しくて、一も二もなくお願いしました!

今後このブログでご紹介させて頂きますので、楽しみにして下さい!マジで本にしたい位面白いです!

・・・と言うわけで連載第一回目は『ヨーロッパをレンタカーで走る話』です。

海外でレンタカーを借りるとどんな車種になるかが楽しみです。 

春休みに韓国釜山で借りたのはキアのK5という、コンサヴァですこし奇妙なセダンでした。

いまや韓国車は日本車の性能を超えていると評価するアメリカの雑誌もあるようですが、すこし前のアメ車のしっとり感(ねっとり感?)はあるので一部アメリカ人の評価ではそうかもしれない。見かけシトロエンC5にも似た中型セダンのK5のレンタカー代は韓国ウオン安もあり邦貨四千円くらいでした(一日二十四時間につき)。

この夏休みはタイのバンコク経由でイタリアとフランスに行きました。バンコク国際空港に着いてすぐ借りたレンタカーはホンダでした。一日六千円でしたがかなり大きな車で、フリードに似ていて違う気もするし走りもスポーティではない。海外で乗る車は日本ブランドでもよくわからない。昔アメリカで借りたマツダの車は見かけファミリアなのにたぶんV4エンジンを積んでいましたし。 

バンコク国際空港から癒しの最果て感と美味を求めて田舎を走りましたが、バンコクの周辺は世界一車で走りにくいところかもしれない。水路はやたらあるのに道路が少ない。それでいて高速道路は多い。一般道は市街でも交差点がなく、つまり左右の分かれ道のない一本道が延々続いていたりする。やっと交差点が有っても日本と同じ左側通行で右折ができない構造が多い。行きすぎてUターンしたくても分離帯の壁でそれもできない。信号はやたら長い。おかしなシステムの国です。しかしそうやってたどり着いた田舎の広場の露店市で飲食するまったり感はなんともいえないものがありました。

イタリア、ミラノ北方のコモ湖は好きなところで何度か行きましたが今回も行き、これまで船移動でしたが今回はマジョレー湖にも行きたくレンタカーを。コモ駅構内にはエルツ(ハーツ)レンタカーがありましたが、雰囲気が嫌で駅を出たらAVISがあった。一日七千円だというピッコラを希望したら目の前に現われた車はピッカピカでまっかっかのチンクチェンティで驚いた。イタリアなので驚くことはないのでしょうが、レンタカーでチンクチェンティに乗れるとは思っていませんでしたから。
 湖水地方の品格と気品のある貴族的なリゾートを走りました。当たり前すぎて言うまでもないがマニュアルミッション(クラッチがある)のチンクチェンティです。ちっちゃな車に妻と娘と小さなトランクに大きなスーツケースを乗せて湖畔のヴィラの続くワインディングを走る快感はなんとも言えずすごかった。幸福感百パーセントでした。伝統と品格のグランドホテルの前に駐めて絵になります。
 クールに見れば大きさも走りもデミオに似ているかもしれない。でもマニュアルなので、ぶん回せばスポーツです。根暗なデミオといちばん違うのはデザインでとくに内装。真っ赤な鉄板の(じつはプラスティックでしょうが)内張りと古風で愛らしいメーターはワーゲンのニュービートルやBMWのミニに比べても一線を画す過激なレトロモダンな楽しさがある。日本では車格のわりに高価だといって売れていないようですが価格以上の価値があると思った。

ご承知の通りイタリアは道路が狭く、高速道路でさえ建設費をケチって幅の狭いところが多い。車の流れる様子はどこよりも日本と同じです。

パリに行くといつもダゲール通り(モンパルナス)のホテルですが、モンパルナス駅前のエルツでむかし借りて車旅行をしたことがあるので行ったら手続きが面倒で驚いた。おまけにこのユーロ安にコンパクトカー一日一万三千円と言う。三日借りる予定を四十八時間にして、カードを切る段になり税金やら保険やらで四万円。イタリアの三倍! 世界のハーツレンタカーなので、ぼっているわけではない。どうしてそうなるのかと思いましたが、盗難やらトラブルの多いパリだからかもしれません。
 おまけに借りた車は内外装とも黒の「シボレー」のわけのわからない車でした。チンクチェンティと同じ車格なのに運転し走って哀しくなるような車。韓国のデイウの車かもしれない。

ブルターニュのサンマロからパリに帰るときの高速で、パリまであと五十キロのところで燃料計二目盛残っていたのがいきなりゼロの警告ランプになった。それでもパリまでは持つだろうと思っていたら大渋滞の壁に行き止まりました。五、六キロ先に高速の合流点があるのでそこまで続くのは確実。片側四車線の長いくだり坂の果てまで微塵とも動かない渋滞が見えて、ガス欠の恐怖で絶望的な気持ちになりました。天の恵みか出口ランプが百メートル先に見え、路側帯を走り大博打でそのランプから降りました。ほかに降りる車はなく、ヨーロッパでいちばん車を飛ばすのがフランス人なのに、辛抱強く大渋滞を我慢する彼らも不思議でした。
 高速から降りて、民家もガスステーションもなかった。パリの方向と思う向きに淡い緑の広葉樹の森の中をひたすら走る。百キロの速度でまっしぐら。先に終わりがあるのかと言うような森は北海道みたいでした。この森の中でガス欠になったらと不安でした。
 森を抜けたらランブイエでした。先進国サミットが開かれて有名になった城のあるところです。ガスステーションがあり満タンにしてホッとしたものです。
 そこからベルサイユまではときおり信号機もあるのに制限百十キロという一般道で、大型店の並ぶ札幌郊外のようなところでした。スムーズにパリに向かうので、こんな道があるのにあの大渋滞にじっとしていた人たちはどういう感覚なのかと不思議でした。

世界中でレンタカー事情の最も良い国は日本とアメリカで、どこにでもあり、すぐに借りられて安い。日本はガスステーションもやたらあり便利な国。しかし日本を訪れる海外の旅行者は日本でレンタカーを借りることがない。車で走らなければその国のことは分からないというのが持論のわたしには残念です。


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画像はイメージです。。。
プロフィール

KOZO(コーゾー)

Author:KOZO(コーゾー)
広島市南区宇品の小さなくるま屋さん
くるま家KOZOです。軽自動車からマニアックなくるままで、国内外問わず各種自動車販売、車検、メンテナンス、板金塗装、自動車保険から人生相談(笑)までどんな事でもお任せ下さい!

HP:くるま家KOZO 
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